2021.7.16 ritokei|「おいしい!たのしい!島の魚食図鑑」を読む島好きの会

1.島に辿りつくまでの旅/はじまりの旅・インドの旅

「この島に辿りつくまでの旅」というカテゴリーは、海士町にいる人は、どこで海士町を知ったんだろう、どうして海士町に行ったんだろうという部分を掘り下げるための、その人がここに辿りつくまでの旅の記録です。

どういうわけかこのページにたどり着いた人の中には、学生で、今度の長期休暇に何をしようかと考えている人もいるに違いない。それは多分、ゼミや部活の仲間と旅行にでかけたり、リゾートバイトでお金を稼いだり、実家でダラダラしたりする事ではないと思う。もちろんこれらが悪い事だとは全く思っていなくて、気の合う仲間との旅行は理由なく楽しいし、リゾートバイトはモリモリお金が貯まるし、実家は最高に落ち着く。でもこれらは多くの人がする”普通”のことで、それとは別に、学生の長期休暇でしかできない、日常とは違う刺激のある何かに挑戦したり、経験したいと考えていると思う。

僕もそのひとりである。

そんな人に向けて書こうと思う。すでに色々経験している人は読まないでほしい。というのも僕が何かを成し遂げたとかでは全くなく所詮は普通の人なので、見る人によっては僕の話が全然刺激のある経験とは思わないかもしれないので。

僕は4ヶ月後の2020年4月にはようやく社会人として働きはじめることがきまっているが、2ヶ月前にはすでに北海道の大学院を卒業し、今は無職の25歳である。単位をひとつ落とし大学を半年留年したことで、大学に4年半在籍し、10月に入学した大学院の2年間を含めると、6年半、学生をやらせて頂いていた。

学部生の時には高校から続けていたラグビー部に所属したため、学校も部活もない長期休暇は夏の1週間と冬の3週間のみ。それでも僕は部活以上にこの休みに全力を尽くしてきた。自転車で北海道はもちろん九州や関西を十数日かけてツーリングしたり、北海道の山系を縦走したり、完遂はならなかったがカヤックで釧路川を源流から河口まで川下りしようとしたりした。部活を引退し大学院に入学する頃には、バックパッカーとして主にアジアを周ったり、北海道で沢登りやエゾシカ狩猟をした。

興味があることはすべてやった。

就活も終わり、今年の秋には大学院を卒業した。しかし就職は通常通り4月入社となるため、半年間の無職となる。

みなさんだったらそんな状況で半年休暇が訪れたら何をするだろうか。バイトで死ぬほど貯金をしてバックパックで海外を回る。海外の語学学校に留学する。自転車で日本や海外を走る。蟹漁船でバイトをする。牧場で住み込みでバイトする…。

僕はその半年間の休暇(留年したくせにこの期間を休暇と呼ぶのは気が引けるが)のうちの2ヶ月間を利用し、隠岐諸島は中ノ島、海士町に、2019年12月1日から2020年1月31日まで過ごすことにした。

海士町に来たことをきっかけに、僕の今までの長期休暇の過ごし方を記事にしてほしいと頼まれた。来た理由やきっかけは各々なんだって良いと思うが”普通”の休暇を求めてやってくる人は少ないのではないだろうか。海士町に行こうか考えている人たちのためにも、これから数回この場を借りて、僕が今までどんな長期休暇を過ごしていたかを記す。これまでライターじみたことは勿論したことはないし、過去のことは海士町との関係薄くない?と思ったが、書けと言われたら書くのが性である。僕自身、旅行の計画をする際にいろんな人のブログや記事を見て参考にしていたので、今度は自分か書く番か…、と思って頑張って書いてみる。

こうして思い返してみると、僕も結局よくある”普通”の休暇を過ごしていたのかもしれない。それでも自分なりには色々な事に挑戦してきたと自信をもって言える。もし記事を読んで、少しでも誰かのためになったらと願う。そして今僕がいる海士町に興味を持ってくれたら嬉しい。

インドへの旅

大学4年生の2017年2月、僕は初の海外一人旅に出かけた。インド。

どうしてインドにしたかというと、なんとなく面白くなりそうだったから。他にも小さな理由が自分の中にいくつかあるのだろうけど、何かするのに大した理由なんて必要ない、といつも思う。理由は後からわかる。

なんとなく長期休暇といえばバックパッカー。バックパッカーといえばインド。そんな感じ。ひと昔前までバックパッカーといえば地球の歩き方や現地で仕入れた少ない情報で旅をしていたと思うが、今となっては現地で購入したSIMカードを挿せばスマホが使えるため、大分簡単になっていると思う。それでも刺激のある経験がしたいならバックパッカーが手っ取り早い。

上海経由

インド西部を中心に11日間、旅行した。デリー、バラナシ、アーグラー、ジョードプル、ジャイサルメール、ジャイプール。3年近く前のことなので正直詳しくは覚えていないし、全ては当然書ききれないので少しだけ。

僕はあまり外交的でない人間である。海外でコミュ力や人脈を駆使した面白エピソードは特にないが、普通にしていても面白いことは起こる。

早速だがインド旅行初日、僕は夕方の上海での乗り継ぎに間に合わず、急遽24時間上海で過ごすことになってしまった。海外旅行の洗礼を受け、僕の初海外は中国に変わった。もちろん上海について全く情報を持っていないが、折角の上海を無駄にはできない。

航空会社の手配したホテルにとまり、早朝誰もいない食堂でご飯を食べながら、絶望的に遅いWi-Fiで上海の地図だけとりあえずダウンロードした。ただ、全く行く予定のなかった所の地図を見せられても、どこに行けばいいかわからない。そもそも現金を持っていない。ホテルから最寄りの地下鉄の駅に行き、たむろっていたおじさんにATMの場所を尋ねるがATMは通じないらしく、MONEYと引き出す手の動きを繰り返す。すると、任せろと行った感じで理解したおじさんに連れてこられたのは普通の自動車。初海外で知らないおじさんの車、普通に怖かった。

あとで気づくのだが、白タクだった。

写真:中島晋

十数分でちゃんと銀行に到着。カードを入れ、ENGLISH、WITHDRAWを押すと、100,200,300,500,1000と出てきた。あと数時間しかいない上海でいくら必要か相場が全くわからな買ったが、とりあえず500元を引き出した後、白タクで駅まで戻ってもらう。駅を往復した料金は80元だった。適切な値段だったか未だに分からない。

地下鉄に乗るため車から降りようとすると、どこに行きたいんだ?と聞かれる。それは僕もわからない。とりあえずメモ帳に「上海中心地」と書いて見せる。するとおじさんはペンをとり、300元とメモ帳に書いた。上海中心地までの値段らしい。残金420元で300元のタクシーは不安である。それにぼったくられてる気もして、僕は地下鉄の地下への階段を指差し車を降りようとした。するとおじさんは300に横線を引き、下に250と書いた。それでも僕は地下鉄の階段を指差すと、わかったわかったと言った感じで、250に横線を引き200と書いた。

正直、地下鉄に乗っても「上海中心地」の最寄駅はわからないし、200元は相場通りなんじゃないかと思い、OKした。そこから40分ほどタクシーに乗り到着。確かに上海中心地っぽかった。

その後小さいローカルな店で美味しい水餃子を食べ、街をうろうろした後、切符の買い方をお姉さんに教えてもらって地下鉄でホテルから最寄の駅まで帰った。

地下鉄の値段は6元だった。

インドに入国

写真:中島晋
写真:中島晋

翌日、無事にインドに入国した。

インドでは目を開けている間、ずっと面白いものが見えている。クラクションは鳴り止まないし、車は道を譲り合わないし、客引きがすごいし、外で散髪してるし、牛がどこにでもいるし、眼鏡屋の隣に肉屋があって目の前で捌いてるし、平気で嘘をつかれるし、噛みタバコのせいか唾を道に吐きまくってるし、映画の上映前に国歌が流れてみんな立って歌ってるし、僕がみたインド映画は全然ダンスシーンなかったし、めっちゃ見えるところで野糞してるし、朝には大勢でヨガをしているし、電車は9時間遅れるし、ノンスパイシーと言われた食べ物は辛かったし、カレーは絶対辛い。

それに僕にとっては初めての壁にぶつかる。

お店に入るのは緊張するし、メニューは読めないし、トイレの使い方は難しいし、駅のWi-Fiにログインするには電話番号が必要なので優しそうな人に頼んで電話番号を教えてもらったりしたし、電車は定刻通りにつかない上、アナウンスもなし、ホームに駅名も書いていないため、いつ降りたらいいのか人に聞かないとわからないし、路線バスは行き先があってるか不安すぎるし、リキシャの値段交渉は億劫だし、スパイスで肛門はやられるし、カレーは絶対辛い。我ながらよく頑張ったいい。経験である。

写真:中島晋

アーグラー

インドに入国して早いうち、タージマハルのあるアーグラーで、僕はあと一週間以上過ごすインドに嫌気がさしてきていた。おかしな事が起こる非日常にストレスが溜まっていた。

この日も、人力車で駅からタージマハルまで10ルピーで行くとおじさんと合意したのに、到着すると、おれは頑張って漕いだから30ルピーよこせと言ってきた。たしか1ルピーは1.7円くらいだったから僕にとってはそこまでの金額ではないがその時は機嫌が悪くなっていたので、ノーノーノーと言い争いをしてると人が5、6人集まってきてしまった。僕はおじさんの手に10ルピーを無理やり握らせ逃げるようにその場を離れた。

「折角の海外旅行でむかついちゃってんじゃん」と思った。この時僕は多分、まだ日本での感覚でインドを過ごしていたが、それだとどう考えてもおかしな事ばかり起こる。

この事があってから、インドではこの異常事態が正常なのだと、タージマハルを見ながら思った。不思議なもので、一度受け入れてしまうと笑えるようになってくる。以降ムカつくことはちょいちょい起こるが、これがきっかけで面白く過ごすことができるようになった。

写真:中島晋
写真:中島晋

旅の心得

インドに行くにあたって多少インドについて勉強したが、それぞれ行く街について詳しく調べたりはせず、地球の歩き方や数多ある旅行ブログを読んで気になったところをなんとか繋いだだけだった。

それぞれの街には要塞だったり寺だったり歴史や文化を示すものがたくさんある。する事がなければとりあえずカメラを持って街を歩き回るが、インドの歴史は全く知らないのでなんの要塞かはわからない。寺にもたくさん行ったがなんの寺なのかは地球の歩き方に書いている以上のことはよくわからない。それでも要塞のデカさには驚くし、寺も何か凄い雰囲気を感じる。予め歴史とか文化をしっかり勉強したらもっと楽しめるし面白いだろうなともったいない気持ちにはなるが、今のところはそれでいいのかなと思う。もちろん無知すぎるのは相手に失礼だったり迷惑になってしまう事があると思うので良くないと思うが。

そんなことより行動するので精一杯だったし、街を歩いたり、買い物をしたり、食事をしたり、僕はそれだけで十分に面白かった。おすすめする訳ではないが、行きたいと思ったら深く考えず行ってみたらいいと思う。

経験上、行かない方が良かったなんて思ったことは、ただの一度もなかった。

写真:中島晋
写真:中島晋

後日談になるが、帰国後にインドから持ち帰ったチフス菌によって腸チフスになり半月入院し病院で隔離された。この年、日本でチフスでが報告されたのは35人ほどだった。